物 の怪








UFO撮影同道記
 
文/奥人
  1. UFOとの邂逅
  2. 偶然ではない一致の発生を「共時性」という
  3. 斑の年の幕開け
  4. インビジブルUFOとは (An opinion about invisible UFO)
  5. UFOと古代霊妙動物・竜 (UFO&Ancient UMA-Ryu-Dragon)
 


文中M氏とはUFO ビデオ撮影友の会の武良氏です。

《UFOとの邂逅》
私は二十五〜六年前に、あるUFO観測同好会、男女10名ほどのグループに同道して、湯の山温泉の 近くの朝明キャンプ場でUFOを目撃したことがある。

御在所岳の麓のこの場所はUFOの通り道になっているとの噂で、皆してカメラや望遠鏡などを 持って夜9時ごろから観測体制に入った。すると程なく、橙色をした流星のような光芒が出現して消える、という現象が夜空のあちこちで見られるようになっ た。単なる流星ではないのかという疑念が湧いたが、リーダーはこれがUFOなんですよと言われる。
そのうち私は、頭上を見上げる姿勢の持続に無理を感じ、寝袋に入り横たわって中天を見上げることに した。5分もすると、私は星の瞬く夜空に吸い込まれる印象を持った。それはまるで宇宙に漂っているような気分であり、幸福感を覚え、そこで何たることを思 いついたか、心の中で今その辺に来ているであろうところのUFOに向かって語りかけてみたのだ。

すると、わずか1〜2秒の後のことだ。私の視野のど真ん中に橙色の三日月状のかなり大きな物 体がよぎり、次の瞬間にはあの流星となって、クロスを描くように飛び去ったのである。私は、「あっ」と声を漏らしたものの、騒ぎ立てる心境にはならなかっ た。えも言えぬ、神聖な気分が熱い感動と共に訪れたからである。

おそらく、こ のような形のUFOは誰も見たことも撮影したこともないはずだ。

だが、まぎれ もなく私の眼前に出現してくれたのである。




この同好会は、UFOの存在を信じ、友好的にすべき存在として疑っていなかった。メンバーの 中には、頻繁にUFOを目撃したり、それらしい光体を写している人が何人かいた。その中には、自衛隊員もいて、駐屯地上空にも現れるので、それを撮影した のだと言って、年に何回かその写真資料を基に、展示会まで開いていた。私は彼らの考えを、素直に納得していたから、この時にUFOに向かって何を語りかけ たか、おおよそお察しいただけるだろう。

しかし結局、そのときには他の面々に同じものを見てもらえなかったことがわかり、その強烈な 体験は自分だけのものとなった。その後といえば、よほどそのときに印象深かったせいか、それとも本当にUFOがメッセージをよこしたものかどうか、夢まぼ ろしの中で見上げる夜空に、星間をスイスイ楽しげに泳ぎ回る光体の群れが出てくるようなことがたびたびあって、格別の印象を深めていたが、それもやがて途 絶えて長い時が経過した。

ところが、UFOとの新たな邂逅が訪れたのである。それは’94年の秋のことだった。

私がM氏に同道して、UFOのビデオ撮影に出かけるようになった数えて二度目(十月九日)に 兵庫県の高砂市の石の宝殿に行った際、遺跡を刻む一枚岩の裏山の上から、西の方の山容を30分ばかり定点観測的に撮影していた中の連続する2〜3分間の中 に、UFO以外の何者でもない映像を記録していたのである。

いったい、西の方の峻険な山の稜線すれすれをアクロバット的に、秒速1キロもの超高速で音も なく擦り抜けるものがあるだろうか。標準速度で観れば、それはまるで山稜を瞬時に舐め通る蛇そのものであった。

映像をコマ送りして何が起きたか判別するわけだが、物体は葉巻型をしており、ちょうどプール サイドから飛び込み潜水する要領で窪んだ山稜にアタックをかけている、お茶目なイルカといった感じである。

地図に基づけば、画面の端から端まで約150メートルほどあろうか。それを1/30秒・コマ の記録密度において5コマですり抜けていた。サイズは20メートルほどか。(1/30秒・コマのコマ送り画像の合成:下図(JPEG40K))
 
その十数秒の後、今度は山の上から、あたかも顕微鏡で観たときの草履虫がプレパラート上を移動する ときのように、灰色の曇り空をバックにして、ふわふわと淡く丸い(いや、菱形かも知れない)輪郭をしたものが浮上していくのである。

高速モノを目で追っていたので、この何気ない画面の動きを見過ごしかけるほどだ。透け方と形 状からクリスタル型UFOと命名した。サイズは4〜5メートルほどか。

それは途中で1秒ほど滞空し、おもむろに発進して不規則かつなめらかな動きをしてみせたとこ ろなど、まさに重力制御のUFOそのものといった感じであった。

さらにこのクリスタル型UFOの発進直後に、別の高速UFOが航路にクロスするようにニアミ スシーンを展開して、4コマ先で2機に分裂するという映像まで含まれていた。

そこまでが画面内に映っていた時間は約20秒。このクリスタル型UFOはいったん上空に去る が、その後2,30秒ほどおいて2度にわたって(都合3度)画面内に姿を現すのである。つまり、かなり長い間、彼らはこの場所の上空で、私たちのし ていることを観察していたに違いなかった。つまり、この約2分は、UFO達によるミニ航空ショー(3種類5シーン)というべきものであったのであ る。

Jumping UFO, Click to animation page
 

カラー映像だが、UFOの形が淡いので、グ レー化し明度を落とし合成してみた。これはいったい何なのか。
画像をクリックすれば、アニメ化したカラー画像と、 2分間に起きた一連のショーのあらましをご覧に入れる。

 
 
 



《偶然ではない偶然に見え る事象の発生を「共時性」という》

私は、とんでもないことが起きることに戸惑いはしても、自分から何かができたことはあまりな い受け身人間である。この時も、UFOと邂逅するきっかけとなったのは、M氏という人物と知り合ったことによるが、偶然の一致というには出来すぎの感のあ る経緯があった。

二十四年前、その当時のUFO観測が機縁で知合った名古屋のK氏に、わけもわからず付いて 行った先が尼崎市にあったM氏のお宅だった。その後、何の交流もなく時は経過し、M氏も住居を移していて、そのままならたとえ探そうとしても不可能であっ たに違いない。
ところが、’94年の秋口に久方ぶりに来訪してくれたK氏は、その道の話をいくらもしてくれたが、 その中で彼は、「JUFORAの平田会長の家が近くないか」と言いだした。彼の住所録メモを見ると、車で5分程度のところだった。

(*平田会長は平成十二 年になくなられています。
減っていく会員数を嘆かれながらも手作り会誌を作られているとき、
私はコピーや綴じ込みなどのお手伝いをさせていただきました)

こうして、平田会長とはいきなり初対面となり、懇談もいきなり長時間に及んだその中で、M氏 の話題が突然出たのである。「最近、顕著な成果を揚げている人がいる」と。彼はUFO撮影を長年行なっていたが、最近になってデーターが提供されるように なり、その中に良いものがあったので報道関係に報せたら、ただちに取り上げられたのだという。それは、’93年のうちに、「六甲山上にUFO現わる」の見 出しで、民放5社からテレビ放映、新聞数誌で報道されていた。我々がむかし会ったことのある人物だと申し上げると、「知り合いなら連絡の仲介をしてあげよ う」と応じてくださった。

数日後、M氏から電話が入り、ぜひ今まで撮ったUFOビデオを見にきてくれとのこと。住所は 意外と近く、車で30分程度の距離であったことから、私はさっそくお邪魔した。彼の部屋には何十巻もの8ミリテープが所せましと積んであった。その中の、 いくつかを見せてもらったのである。

はじめの予想は外れた。私はUFOは夜出るものと思っていたのに、昼間に撮られたものばかり であり、得体の知れぬ物体がシルエットのようにして捕えられていた。それも飛行速度が非常に早いので、コマ送りして判別するという。

帰りぎわに、コマ送りやクローズアップなどの地道な編集をして2時間のVHSテープにした特 集分をお土産にもらったのだが、その中にはなんと106通りのUFO出現が納まっていた。多くの場合、棒(葉巻)状をしているが、ブーメラン型や二足や四 足付き棒状、円盤型など十数種類に分類できた。
  Video shot UFO type. Click to the collections.


1994年11月のイベントパンフレットの抜粋

これ以外に、サインカーブ足付きやカッターナイフ型などがある

UFO(Rods) Click to detail
疑惑は当然起こるものだ。ファインダーの近くを掠めた虫や埃の影ではないかとも思える。しかし、と きおり黒い棒が巨大なビル(神戸の朝日ビル)や看板塔の向こう側を通過していく場合のあるのを見れば、驚かざるを得ない。むろん、すべてがUFOだと断定 はできるわけではなく、分析する態度が必要であることは言うまでもない。

M氏は、もしビデオカメラを持っているようなら、一緒に映してみないかと言われる。むろん撮 影のための必需品だが、なぜか私には十年も前の出始めの頃に、たいした理由もなく購入したシャープのマイビデオなるポータブルデッキと小西六のカメラの セットがあった。デッキのほうは、日常のテレビ録画用に使って重宝していたが、カメラは二、三度使ってみたきりで埃を被っていた。そのことを話すと、今の 8ミリと違って精度はどうかなと首を傾げつつも、きっと撮れるから一緒に行ってみないかということになった。

こうして最初、元のラジオ関西(須磨海浜公園前)の前で撮影を開始し、2時間程でそれらしい ものを10回程度捕え(須磨ボウルの看板塔の裏を通過するもの1つを含む)、旧式でもなかなかやれるではないかということになった。そして、二度目には、 先にしたような成果が揚がったのである。

UFOは何らかの意図を持って行動しているのだろうか。M氏の数多くのデーターはそれを物 語っている。M氏の撮るUFOには大中小あり、形もバラエティーに富んでいるが、小型UFOには小回りの効きを生かしてか、ヘリコプターの周りをからかう ように旋回して去るものや、2機編隊で来て分裂したりクロスしたりするもの、果ては針金で輪を作って高く掲げれば(氏はそこまで実験した)輪潜りに挑むも のさえ撮られている。

とにかく、彼らはポーズをとりたがるようだ。そのためにカメラアングルや背景を計算している 感さえあるのだ。

私が単独で撮影したある日に、こんなこともあった。あるダムを望むパーキングエリアで、三脚 にセットして定位置に向けて撮影中に、通り掛かりの人に何をしているのか質問され、話をするうちに、相手のほうがUFO談義に夢中になってしまい、ついつ い「あいつ等は(UFOのこと)雲の中に隠れて居ることもできるんやからな・・」と向こうの入道雲を指差して説明しだした。

すると、彼の話がすべて終わらぬ前に、入道雲の先端から(遠いため非常に不鮮明であるが)、 棒状物体がポーンと放物線を描いて地上に向けて飛び降りる様が会話の声とともに記録されてしまった。

UFOの行動がどういう意図に基づいているのかは謎である。だが、あの人なつっこさが本物で あってくれるならば、たとえ多少の謎を胎んでいてもいいではないかと思っていた。だが、まもなく、いろいろと考えさせられる事態が発生してしまった。
 
 

《斑 の年の幕開け》
M氏は私が加わるまでは、ひとりで気の向いたところで撮影するのが常だった。しかし、同行者が加 わった場合は撮影頻度が増加することに気付いたという。年の暮にかけて増加し、そのつどよく撮れてきている、複数人でやるとパワーアップするみたいだと報 告してくれた。私も多少は頻度を増加させ、UFOもやってくれるものだと気を良くしていた。
M氏は多人数同時撮影の実績に自信を深め、地域のコミュニティーに呼び掛けてUFO撮影イベントを 企画し、11月下旬に実施した。

M氏はかねがね、UFOは環境破壊の進み具合を調査しにきているものと考えておられたので、 クリーンキャンペーンとして空缶拾いがセットされた。地元ミニコミ誌や駅置きのチラシなどで一般参加を呼びかけた。

当日は平田会長、K氏、コミュニティーのまとめ役ほか数名、地元テレビ局などが参加。過去の 実績の上映は屋内のため2,30名ぐらいのまずまずの参加人数だったが、野外での撮影は寒いこともあり、器材の持参者も観覧者も少なく、撮影内容もM氏以 外はあわれな結果に終わってしまった。私なども、そうとは断定しにくい一回が記録されたのみだった。その後、一層寒くなったこともあり、私は撮影を休止し ていた。

そうした’95年1月17日に阪神大震災が起きたのだった。

震災とUFOが結びつくわけはないと思う。だが、私の親の家は神戸市にあって全壊。私は後片 付け作業で駆け回り、親とともに随分気苦労した。八百年ぶりに起きたという奇跡的とも言える地震と、その直前の奇跡的なUFOとの邂逅という二大イベント は、私にとって奇跡という糸で繋がった事象であり、その意味するところをどうしても考えさせられてしまう。それで、あくまでも私見とお断わりして、一説を 述べさせていただこうと思う次第だ。

何か災いがあると、他人のせいにしたがるのが人間の常というものか。それではなるまいと思う のであるが、神戸市が政策的に自然破壊を積極的に進めていたことを口に出す人は多かった。私も、そういう思いにかられていた。しかし、それは八つ当り的発 想にすぎないであろう。神戸市もいつの時点でも認められた有効な手段で市民のためになろうとしてきたし、今は市民救済と復興に一生懸命であり、涙ぐましい ばかりである。かつて商才に長けた都市も財政難に陥り、皆して痛み分けをしなければならなくなったという現状が展開している。それでも、非常に多くの人々 が、やり場のない悲しみに今なお直面していることは確かなことで、わずかな寄る辺を頼りに自立の道を目指さざるを得ない状況が展開しており、これからもそ の長い道程は続くことだろう。

それを軽んじるつもりは全くないが、一方、地震発生の午前5時46分という時間が、人的被害 を少なくした要因だったことは誰しも不思議に思うところだ。多くの人が活動開始前の待機状態にあった。列車はほとんど動いておらず、車がやがて倒壊するこ とになる高速道路や炎上することになる市街地を埋めたりしていなかった。激震時には真っ暗だった周りも、このわずかの後には夜明けの簿明が訪れ、人々の事 態の把握、判断にプラスした。地震がこの時間の数十分、後にも前にも外れてはたいへんなところだった。

またこれがもっと暖かい時期に起きていたらどうなっただろう。各家庭の冷蔵庫の保存物が腐敗 し、早く疫病が蔓延していたに違いない。地震前に逃げ出したとみられるネズミなどが、後々長く尾を引いた余震によって戻れなかったため、騒ぎを起こすこと もなかった。

むろん地震そのものがなければそれに越したことはなかった。だがもし、どうしても地震発生や むなしとした場合、驚くほどの奇跡があったと言っても過言ではなかろう。

また、被害の大きかったのは、扇状地の軟弱地盤の上に造られた旧市街地であった。戦前の建築 を踏襲した古い民家が密集し、車なしでの生活のしやすさ等の理由から、生活力の弱いお年寄りが多く住んでいた。奇しくも若い人たちの多くは、早いうちから 山向こうの新興住宅地へ移っていて難を逃れた形になり、死者の70%は六十才以上のお年寄りとなった。残酷だが、この辺に、自然界の摂理の意図を思い知ら された気がした。

このとき、人間界のルールの出る幕は全くなかった。見失われていた自然界の営みの恐ろしさを 思い知らされたとともに、その一方で、どこか手加減が用意されていた恐るべき大変災であったと思う。

未曾有の不幸を前に勝手な解釈することをお許し願いたいが、人類を代表して試練を受けている の感も持った。六千人以上の死者を出し、町中は惨憺たる姿となり、二年を経た今も多くの人が苦悩の中に置かれている。その一方で救援と復興支援の手は全国 から集まり、残された人々は逞しく、価値観を変えて二周り以上成熟した観がある。様々な恩恵が、これからの神戸に集まろうとしているようにも見える。

こんな大変災があれば、暴動が起きないのが不思議な位だと言った外国人記者がいたとか。細か い嫌な事件も多少あったとは聞く。しかし、犯罪を防いだのは、全国の警察力が投入されたことよりも、私心のないボランティア諸氏が全国から集まって被災地 の末端にまで浸透し、すさもうとする住民の心を優しく包んでいたからに他ならない。

我々は、人間にしかできないこの方法で人間の心を癒やし、ひいては困難な試練に打ち克てるこ とを証明したのかも知れない。当面出る幕のなかった人間界のルール、その最たるものとしての政府や国際レベルでの施策その他は、この道に従うべきことを物 語っているに違いない。自然は手荒で厳しいが、種の持つ本来の在り方を触発する吉凶混在の斑的側面を持つものなのかも知れない。
ただ、かなり後で気がついたのであるが、震災の日は、あのUFOショーの撮影された1994年10月9日から数えて100日目であった。
縁 起でもない話しではあるが。
 
 

《イ ンビジブルUFOとはこういったものではないか》

私は、1995年当時、すでに以下の記事に掲げるところの印 象を持っていて、1997年のこの前身になるホームページで取り上げていた。
それが、いま話題になっているスカイフィッシュの類であろうとは、当時夢にも思わなかったことである。
しかし、スカイフィッシュには大小あり、大きなものが以下、龍と表現されるものとして、
いにしえ人の感性に捉えられたとしてもおかしくはないと思われる。

私は仕事柄、震災前から不特定多数の人に、UFOがビデオで撮影される現象の謎について話してい た。震災後は地震とからめて意見を求めるようになったが、真面目にプラズマではないか、地殻の電位が高まればこうした現象もあり得るのではないかという純 科学的な意見がたびたび得られたが、確定的な参考意見はなかった。

そして、今は帯電エアロゾルが、地震直前の異象や発光現象に直接関わっていると言われるよう になった。これが何かは私などにはよく分からないが、やはりあの大槻センセーのおっしゃるプラズマの一種なのだろうか。

だが我々の写すUFOは、わざわざカメラアングルや背景を配慮して出てくるかのようなことが ある。時に我々の想念を読んだかのようなパフォーマンスを演ずることもある。無生物のプラズマや帯電粒子に、そんな知的な芸当ができるものかどうか。経験 的に言って、やはり知的生物の関わるものと思われるのだ。

また、UFOのすべてがすべて金属物体であり、宇宙人の乗物である必要があるのだろうか。ビ デオのUFOを見るかぎりでは、まるで分子構造の淡い気体のような物質に見える。そして、それはおよそ目撃できない。M氏には時折目撃できるときもあるよ うなのだが、それも直感的なものだという。

M氏は、どうしても異星人の存在を念頭に置かれていて、金属物体のUFOが物質の存在状態を 変えて飛行しているという説明だ。私も自ら奇抜な宇宙論を一案持っていて、この説には賛成である。物理空間にさほど影響されずに高速飛行できるUFOの飛 行原理はこれしかあるまい。(★1)

だが、存在状態の変化の結果、我々の物理空間とは、どのような関係になるのだろう。
それは、幽体や霊体と一般的に言われるようなものになるのではないだろうか。

私は学生の頃、幽体離脱の事態に何度も遭遇したことがある。寝ているうちに突然おかしな具合 に意識が目覚めると、頭の中でヘリコプターの爆音のような電磁音がし、体はまったく動かせず、いわゆる金縛り状態と言われるものになる。

呼吸ができているかどうかわからないためパニックになるが、目を開けて気を落ち着けた後、腕 をわざとむりやり動かすと、肉体ではない別の腕が抜け出て、自分の思うとおり動かせるようになるのだ。

思い込みがそうさせているのかどうかわからないが、ちゃんと触覚などの感覚だってある。さら にその手を自分の見開いた目にさらして見ると視野の周辺部でのみ無色半透明のシルエットのような手、指の輪郭が捉えられるのだ。なぜか視野の中心部では見 えない。

それがビデオに映るシルエット状のUFOに、どこか似ているのである。

そこでUFOが霊体、あるいは霊体化して飛行するメカニズムを持つと仮定してみよう。よくカ メラ写真では、目に見えないにもかかわらず、心霊が写ることがあるらしいが、それと同様のことがビデオ録画においても起きているのではないか。(★2)

また、UFO撮影中に何かが飛んでいる気配が私にも時折あるが、視野の中心部でしっかりと目 視できないために断定しかねていることに気付く。人の視野のうち周辺部では色感が鈍くなるが、そのぶん「別のもの」を感じる機能が本来備わっているのでは ないかと思うのだがどうだろう。何かの気配で後を振り向いても誰もおらず気のせいと思う場合も、意外と心霊やUFOの接近を視野の周囲で捕らえていたりす るものかも知れない。M氏が直感的にしか見えないというのも、納得がいくことである。

もう一つ、つっこんだ見解を言わせてもらえば、我々の体に霊魂が宿るとは、つまり肉体と共に 霊体を持つということは、もしかしたら我々が異なる2以上の安定した空間に居所を占める体を持つということではないか。もう一方がアメーバのような不定型 な、煙のような存在としてかろうじて観測されるのは、この物理空間においてだけであって、安定した別の存在状態(空間)においては、しっかりとした機械的 な体が備わっているものかも知れない。経験的に、離脱した体からすれば、しっかりとした別世界の形態とそれに対する明瞭な感覚が認識できるというわけだか ら。

言い換えれば、存在状態の異なる空間にある物体が霊体なら、生命体であろうが機械であろう が、存在状態を変える自由度を獲得し、可変に複数の空間に関わる機能を持ったものがUFOなのであろうと思うのである。
 
そういった意味では、単に金属物体の光沢を湛えて、明瞭な輪郭と断続的な機械音のするUFOのみが UFOでなくてはならないという議論や、その部分にのみ真贋の目安が与えられているという今の鑑定のあり方はまったくナンセンスであるばかりか、無視し続 けられている非常に多くのUFO現象に対して何の考察もなく、無防備であること自体、非常に危険であると思うのである。

無いものと思い込んでおけば、彼らが何もしないというのだろうか。古来から、なさそうに見え る彼らをかろうじて認識して、神(広義の神:全知全能の神から、害意を持ち祟りをなす感情的な神までを含む)として畏怖してきた古代人の警告に、少しは耳 を傾けるべきではなかろうか。
 

 

《UFO と古代霊妙動物・竜》
棒状UFOの多い中に、時折二足や四足の足付きの例がある(画像集2を参照::M氏はこの足を動力 源から出る力場と説明されている)。私は前出のアクロバットUFOを、山稜を舐め通る蛇と表現したが、それらが生命体であったにせよ、機械船であったにせ よ、こうしたものが古代の眼力ある人物の目には、霊妙な動物の姿と映った可能性はある。私は、「竜」や「木霊(樹木の精霊)」や「天狗」などと表現された ものではないかと考えるものである。

広辞苑によれば、「竜」は「水中に住み、神通力を有し、・・胴は蛇に似て剛鱗を持ち、四 足。・・自由に天を飛翔し、雲を起こし雨を呼ぶ。・・」という伝説上の動物だ。それは、霊的存在とも言われている。

そして、古老の話によれば、蛇がこの地上に生きるに、山に千年、川に千年、海に千年を、人の 目につくことなく生き抜くことを達成したとき、彼は竜になるという。その時、天上からはにわかに巨大な黒雲が現れ、飛翔する竜はそれに覆い隠されるように して登っていくという。その時、妊婦がその光景を見ると良くないとされるが、我が祖母は、そうした時期にないときに、たまたま丹後半島の海辺にあって、巨 大な黒雲の重なりの間から、巨大な爪のついた足がぶらりぶらりと揺れているのを見たという。

そのような竜とは、悠久の大自然を代弁するような存在といって良かろう。それは、我々人間と 変わらぬ向上心を持ち、幸福であることを望む心を持っていると思われる。それは、我々には単なる下等動物の思いに見えるかも知れないが、やはり存続する意 識であり知性であろう。そして、それはリアルには見えないが、やはり高度な計画性と意図を持って思考し、また活動しているに違いないのだ。それは何も竜に とどまらず、自然界一般の生き物にも言えることだ。

自然界には、ワニの姿をとって身を守るという昆虫のように擬態する生物がいて、どこかで設計 し工夫しているユーモアある客観者の潜在を考えざるをえない場合があまりにも多い。これに対して科学ができる解釈には限界があるし、また単に神の造化であ ると十把一絡げにするのも、短絡的で言い尽くせているものではない。何らかの意識が介在し、種の進化や成り行きに関わっていることをしっかりと捉え直す必 要がある。

昔の人たちは、森の老木に斧を入れたら祟りを受けるといった昔語りなどによって、自然に対し 畏敬の念を抱き、森を大切にし共存の道を進んできたはずだった。そこでは、森の暗がりとともに、得体の知れぬものの棲む聖域が重視され、森の掟とともに、 生命相互の間に交わされた倫理があった。

そうした暗黙の了解事項は科学万能主義によって失われ、人間が自然から受けるべき啓発は途絶 えてしまい、自然の啓発から生まれるであろう思いやりの心はいたる所で消え去ろうとしている。その結果、虐待による種の絶滅が日毎に起きているとしたら、 かの意識の想いも穏やかであろうはずがない。

恐ろしい新種の病原生物や細菌、ウイルスは、誰が設計し製造するのだろう。
人の激昂しやすさや衝動的行動は、精神の窒息症状だが、大気によって体が生かされるように、「気」 によって心も生かされていることを知るべきだ。精神的荒廃を招く気断は、見えないから知られないが、すでに誰かによってコントロールされているとすればど うだ。
人は人同士仲良くするだけでなく、自然とも仲良く共生を図らなければならない。

昨日(いまから数年前にあったタンカー事故のこと。過去の記事をそのまま再現するためこのような表現になっています)もオイル流出事故の報道があった。海洋汚染による環境被害は何年にもわたるだろうと言われている。だが、いずれ被害の程度 は金額で換算されて、人の間だけで納得しあうことになるだろう。それは自然界の営みを無視したゲームの世界でしかない。

金による換算は、事態解決の錯覚にすぎないのだが、何もかもそうであることが現代人には不思 議でなくなっている。それが平気で無頓着になったとき、先の結果は見えており、人間は地上の正当な管理者としての資格を失ってしまうだろう。もはや遅きに 失した感はあるが、地球を任されているという見地に立ち、責任ある管理者としての資質を養うべきである。そうでなければ、大きな地球の立場からすれば、人 類とは生命系を蝕むガンでしかないと見なされてもしかたない。ガンは、自らをも殺すことになるを知ってか知らずか、毒を出し増殖をはばからない愚か者。そ うなってはならないのである。

人類を含む「種」への思いやりの精神を、まず第一に据え、国際間にルールをうち立て、資質を 育成する機関を整備拡充すべきである。あまりにひどい打撃となった大変災は、考えようによっては、反省を促す反面教師ともなりうる。これが意義ある改善の きっかけになるなら、多くの犠牲も浮かばれようとも思うが、そうでなくては何の意味もない。そしてその結果は、同じ過ちの繰り返しと、ついに来る終局でし かない。

M氏はじめ多くのUFO研究者やチャネラーによって、UFO現象と環境問題の関連性が言われ ているが、その情報源は果たして宇宙だけにあるのだろうか。どうも、太古の地球の深みから沸き上がってくる生命系存続への願いのような気もするのである。
 
 
 
 
ところで、竜の飛翔とおぼしき光景が、’75年頃、JUFORAの平田会長のもとに寄せられていた UFO写真(会誌UFOジャーナル17号の表紙に貼り付けられている。当時、中学生のかたが鳥取砂丘で写したものという)の中にあった。そこには、鎌首と 尻尾、長い胴体には剛鱗に似た斑紋が5つあり、頭の先の少し離れた位置に追いかけるべき玉までが黒いシルエットとして写っていたのである。

Ryu appeared on Tottori-sakyu sandhill?
UFOジャーナル17号の表紙のスナップ
撮影者は、この物体の飛行を目撃しながら、撮影した という話だ
 
このUFOの形状に着目して、剛鱗の数を年輪のようなものと仮定したなら、M氏の撮った六甲山上 UFO(剛鱗2つ)は若く、さらに石の宝殿のアクロバットを演じたイルカ型UFO(薄くて剛鱗の判別付かず)はさらに若いものとなるかも知れない。また、 奇妙なことに、アクロバットUFOの飛んだ石の宝殿の西南の土地一帯が、「竜山」と名付けられているのである。

だが、この地名の由来は、中国の「風水」思想との関連もありそうだ。風水にいう「竜」とは、 「気」の流れという、我々の科学では未解明の物理現象とされる。平安京は風水の原理にかなったものであったというが、高砂市の高御位山の山並みに向かい合 うこの一帯は、平安京と相似の地形をしている。石の宝殿と竜山は、京都の鞍馬山系に向かい合う桃山の地形と相似の位置にあり、風水上の重要な地形を醸して いるのだ。

風水学上の「竜」、意志を持つかのように飛ぶ生命的「竜」、そしてUFO現象が同じものであ る可能性がある。もしそうであるなら、それを頻発させる特定の地形に、別の空間と相互作用しやすくする幾何学性があるとも考えられる。たとえば、霊の通り 道なるものがあり、霊媒体質の人に影響するという。気の通り道なるものがあり、人々の活動力に影響を与えるという。

私はこの日、石の宝殿からの東の方、北の方、西の方と撮影をしたのだが、特に東の方におい て、南北にほぼ同じ角度で斜めに行ったり来たりする棒状UFOを何度も捉えた。この日、この場所近辺で十数回の出現量のうち、半数がこれで、通り道のよう なものができていたのでないかと思ったほどだ。

もしかすると、我々は風水学にいう「竜」を器材で捉えてしまったのかも知れない。ならば世界 初の快挙であり、本場中国の研究者にとっても朗報となろう。また、この「竜」の出現回数が、地殻のエネルギーの高まりに比例して増加するふしもある。震災 前に記録量が増大したからだ。もしそうなら、地震予知に使えるかも知れない。最小の費用でできる効率良い統計的手法として開発できるに違いない。

大地震の前には、犬が鳴き、鶏が騒ぎ、ネズミが消え去るという。一般的には、彼らが微弱な地 電流の異常を感じ取るのだろうと言われているが、実際はどうなのだろう。本当は、天駈ける竜が地上すれすれに飛翔する様を、彼らの視力で頻繁に捉えておび えていたのではないだろうか。人間にはそれが認識できないほどに、特化してしまっているとすれば。そうしたとき、ビデオカメラというメカニズムに頼ること があっても良いと思われるのである。
 


最近の記録
M氏の撮影物に 多くスカイフィッシュ種が含まれていることが判明したのは、2000年4月にフジテレビ系で初めてアメリカのスカイフィッシュについて放映されたことに よった。私はただちにアメリカのスカイフィッシュの第一人者ホセ・エスカミーラ氏にメールで連絡を取り、こちらのサイトにおける掲載写真を見てもらい、あ ちらからスカイフィッシュである旨、認められたものである。⇒メール文 面
ホセ氏はただちに世界に向けてのメーリングリストでこちらのURLを発信してくれ、わずかな日数のうちに1万カウントを突破するアクセスぶりとなった。
それから一年以上たち、ホームページ読者からテレビ朝日に進言があり、M氏がテレビ朝日の「不思議ドットテレビこれまじ!!」で取り上げられることとなる とき、私がホセ氏と連絡を取ったことがある旨番組製作者に告げたため、テレビ局からホセ氏に紹介が行き、「日本でもすごいのがとれているじゃないか」とい う彼の返事が得られ、番組を盛り上げることとなった経緯である。



 


☆☆☆・・(★)コメント解説・・☆☆☆
★1・・・UFOの飛行原理(私見)
物質の反動を利用するロケットエンジンでは、いかに高出力のものを用意したとして も、相対性理論の壁を乗り越えることはできない。重力コントロールはあり得ても、同様に速度が得られない。ブラックホールの利用などは、利用者自体の解体 を招く。物理空間の縛りを越える、存在状態を変える方法だけが可能にするものと思われる。
★2・・・霊世界との接触は1/60秒?
あるテレビ番組で、霊界の光景がビデオ録画される現象が起きているということが報じ られていた。それによれば、光景は向こうの世界からの念写であり、その録画は、わずか1/60秒・コマのタイミングの中になされているという。一般向けの ビデオデッキのコマ送りタイミングは、1/30秒・コマとなっている。我々は、このタイミングでUFOを追っている。どこか共通性のある話だ。

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